ある日、私は自由研究のために「嘘つきの罰」というテーマを考えた。友達に嘘をつかれるとどんな罰を与えるのが適切かを考察し、結論として「5分間、口を閉ざし静かに考える」という課題を与えることにした。
テーマを考えた後、友達にこのアイデアを伝えると、彼らは軽く笑って流していた。私はそれを少し不思議に思ったが、それ以上深く考えることはしなかった。
それから数日後、私は友達から嘘をつかれた。彼女はデートの約束をしてきたが、当日になって「急用が出来た」と言い逃げしてしまったのだ。
私は怒りを覚えたものの、自分の提案した罰を自分自身にも課すことにした。私は5分間、目を閉じて静かに考えた。そうすると、私は罰を受ける側ではなく、与える側であることが重大なことに気づいた。
私は友達に対して嘘つきの罰を課すことはできなかった。なぜなら、私自身も嘘をつくことがあるからだ。
その時以来、私は自分自身に正直に生きることが大切だと思うようになった。私は友達に「嘘つきの罰」を課す前に、まずは自分自身に問いかけ、自分がその罰に値する行動をとっていないかを振り返ることにした。
それが私が得た、嘘つきの罰についての教訓だ。
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